指揮者高橋利幸指導の指揮法講座

ワンポイントアドヴァイス


斎藤秀雄の指揮法教程を中心に指揮法講座を担当している。
腕の動かす運動を何種類かに分類して、それぞれの動きについていつ力を抜き、いつ力をいれるか、つまり腕の筋肉の緊張と脱力を随意にできるようにすることを指揮をする上での基礎的な必要事項と位置づけている。時に批判はあるようだ。筋肉のコントロールだけに傾きすぎているのではないかとか、音楽性と関係ないのではないかとか、音楽性を持っていれば指揮の技術はなくとも指揮はできるとか・・・。はたしてそうだろうか?他の演奏のジャンルではピアノにしてもヴァイオリンにしても管楽器にしても声楽にしても美しい音、豊かな音、表現力を増すための基礎練習は必ずしている。指揮にはそれは必要ではないのか?たとえプロの指揮者でなくとも、例えば音楽教師が指揮をしなければならないケースは頻繁にあるはずだ。子ども達を前にして、小学生、中学生、高校生を前にして、あるいはアマチュアのオケやバンドを前にして、指揮者だけが基礎的な訓練をしてないままに指揮をできるのか、あるいはアンサンブルを整えられるのかと思う。メソッドがなかったから系統的な指揮の基礎を習得できなかったのだともいえる。拍子の軌跡をなぞることで指揮法を習ったと錯覚しているのかも知れない。いくつかの指揮法の本を読み何人かの指揮の先生に指揮を学び、いろいろな経験の中から、これだ!と確信が持てたのが斎藤メソッドだ。そう思わせてくれた私の師である高階正光先生には感謝の気持ちで一杯だ。このページでは、指揮をするときに気づいたことをワンポイントアドヴァイスとして書いてみたい。もちろん書いたものを読んですぐに出来るというものでもないし、試してみてやってみてこれでいいのだろうかという判断は他の人に指摘してもらったり、レッスンを受ける中でスキルアップを図る方法をとらなければならないだろう。ワンポイントアドヴァイスはその前段階の指揮をするときのヒントになってくれればうれしい。前文が長くなってしまった。次回からこのページで具体的に書きはじめる予定だ。

1.指揮者の筋肉(-1-)

腕を振る、あるいは動かすことで演奏者に意図を伝えることをする「指揮」というものを考えれば、そのためにはどこの筋肉を主に使うのかを発見しなければならない。この発見からスキルを身につける第一歩が始まるといっても過言ではない。拍子の形を覚えることは誰にでもできる。二拍子、三拍子、四拍子の図形を描けることは大きな意味を持たない。また、ある楽曲の一部を譜例としてその部分をどう振るのか、二つに振るのか四つに振るのかと言うようなことを最初に学んでも大した応用はできない。スポーツ選手がただやみくもにトレーニングを積んだとしても、あまり効果は上がらないだろうと推察できるのと同様だ。力を抜いて手の指を丸めて自分の片方の手のひらに載せてみる。そう、デッサンの時に自分のこぶしを机の上に置いて自分のこぶしを描く、その要領だ。または、赤ちゃんが産まれてきたときの手を握った形だ。そのこぶしのまま親指を90度回転させ上を向ける。その親指の付け根と肘までの間にあるのが指揮者の筋肉だ。あるいは「筋」と言ってもいいだろう。この「筋」を確認するには肘を90度曲げて重い机やテーブルの下に、手首をあてがい持ち上げるように軽く上に力を加えてみる。その時に手首と肘の間に筋が見える。それが指揮者の筋肉だ。日常生活には使わない筋肉なのでほとんどの人が中に隠れていて見えにくいかも知れない。しかし誰にでもある筋だ。その筋を有効にあるいは自由自在にコントロールすることが必要だと思えるか思えないかでその後のトレーニングに大きな意味を持ってくる。素直に考えれば指揮者の筋肉があるのだろうとは思えるだろう。

1-2.(−2−)へゆく…その前に。

フルトヴェングラー・トスカニーニ・ローゼンシュトック…斎藤秀雄

フルトヴェングラーは第二次大戦の前後に、ベルリンフィルの指揮者として活躍した。カラヤンの前任のベルリンの常任だ。トスカニーニはアメリカでNBC放送局の専属としてNBC交響楽団の指揮者としてこのオーケストラの育成に力を注いでいた。ほぼ同世代の両巨匠だ。この二人は音楽も指揮も対照的でよく比較される。音楽ファンの間でもフルトヴェングラー派とトスカニーニ派とに分かれてそれぞれが一言を持っていた。
わかりやすい指揮とは言い難いフルトヴェングラーを「ふるとめんくらう」と言ったり、厳格なトレーニングをしたトスカニーニを「トスカノーノ」と言ったりしていた人もいた。むろん、フルトヴェングラーの指揮でベルリンフィルは名演奏を残しているし、練習よりも本番で示すなんとも言えない精神美の極みとでもいう演奏は今でも語り継がれている。トスカニーニも何よりも楽譜に忠実な演奏へと志向し、当時のプリマに合わせるのが当たり前のイタリアオペラの指揮の時もそれを許さなかった。二人とも次の世代のカラヤンやバーンスタイン、セル、ライナーなどに大きな影響を与えたといわれる。
さて、トスカニーニはローゼンシュトックを高く買っていた。そのローゼンシュトックがNHK交響楽団の前進の新交響楽団の指揮者として日本に招かれた。その時の新饗のチェロ奏者として在籍していたのが齋藤秀雄だった。おそらく二人は音楽観と同時にオーケストラが成長するために必要な訓練や合理的あるいは分析的な捉え方の重要性で意見が合ったのだろ。
ローゼンシュトックの代理として斉藤も指揮台に上がるようになっていく。新饗はローゼンシュトックのおかげで飛躍的に実力をつけ、日比谷公会堂はいつも満席になったといわれている。
すでに実力のあるベルリンフィルのようなオーケストラは指揮者の指揮が見やすいかどうかということはあまり演奏には関係ないのだろう。
合理的で系統だてられた指揮の技術はプロを目指す人にだけ必要なものではなく合唱やバンドやオーケストラを始めたばかりの小・中・高の音楽の先生方にこそ必要なのではないかと思う。なぜなら音楽の表現は教師と児童・生徒という縦の関係で出来ることでもなく言葉や顔の表現だけでは演奏力を高めるにも限度があるのではないだろうか。
クラブ活動や部活動でバンドや合唱部の指導はしていない先生方にも授業という観点からみてもえるものはあるように思う。なぜなら、わかりやすい授業の組み立てに、合理的な思考や科学的な思考、さらに分析的な手法がかなり有効な手立てになると考えられるからである。
齋藤秀雄先生の門下生が指揮のみのとどまらず、チェリストやヴァイオリニストにも数多く輩出していることが、単に指揮の技術のみを教えていたのではないことでそれがわかるだろう。
指揮法のレッスンをする立場になってあたらめてその「指揮法教程」の偉大さを痛感している。

2.指揮者の筋肉(−2−)

この「筋」を確認するには肘を90度曲げて重い机やテーブルの下に、手首をあてがい持ち上げるように軽く上に力を加えてみる。その時に手首と肘の間に筋が見える。
それが指揮者の筋肉だ。
日常生活には使わない筋なのでほとんどの人が中に隠れていて見えにくいかも知れない。この筋を有効にあるいは自由自在にコントロールすることが必要だと思えるか思えないかで、その後のトレーニングに大きな意味を持ってくる。

3.ドナルドの足

指揮台に立った時に、何気なく自分の足下を見てみよう。つまり下を向いてみる。その時にだいたい肩はば位には足を開いているだろう。まさか直立不動で指揮をする人はいないだろうから、ほとんどその姿勢になっているはずだ。
さて、そこに盲点がある。立っている足が思ったよりつま先が開いてかかとの左右がくっついていないだろうか?つまり逆ハの字になっているとしたら、それがドナルドの足だ。重心が後ろにかかり、縦横無尽に指揮ができない。
ドナルドダックの足ではなく、ほんの少しのドナルドの足がいいのだ。コツはつま先を閉じるのではなく、かかとを少し広げる。そう!それだ。
ほとんどの人が気付かない盲点のドナルドの足・・・これを読んだ人は得をした。

4.上から下へ

小節の最初の拍だということを、演奏する人に分かってもらうための方法だ。一拍子、四拍子、六拍子は問題ないだろう。真上から真下へ振り下ろせばそれが一の位置だ。指揮の教本を見ると、著者によって、二拍子、三拍子の図形が違う。Vの字の二拍子や三角形の三拍子がある。それでも、上から下へ動かすというのが鉄則だ。くれぐれも逆にならないように。小節の始まりが下から上の動きでは演奏者を混乱させる。
演奏者はそれぞれのやり方で自分のパートの入りを覚えるようだ。本当に小節の数を数えることもある。演奏者が小学生でも中学生でも油断をしないこと。口には出さずにはいても、指揮者(指導者)の値踏みをしていることを忘れないことも大切だ。「上から下へ」は価格をアップさせるはじめの一歩だ。

5.より良い演奏のために

夏の吹奏楽コンクールが近くなってきた。この時期には、各学校で外部の指導者を招聘しての練習の機会が増える頃だろう。招聘するのが、楽器であれ、指揮であれ、バンド指導全体であれ、呼ぶからには効率の良い準備が必要だ。
まず、部員達に、何の目的で何の講師を呼ぶのかを理解させておくこと。次に、どの講師が来ても素直に 反能する習慣をつけておくこと。そして一人ひとりの部員が向上心をもっていることが大切だ。
毎日、子どもたちと接している部活動の顧問の先生の力は偉大だ。部員のやる気を起こさせる人間性と、 音楽表現の技術をバランスよくもつことに腐心するべきだ。人間性と技術、この二つは必須の条件だ。 指導者がより高みを目指せば子どもたちも高みを目指す。その逆はあり得ない。
 指揮法に関しては、持論は変わらない。つまり、楽器の演奏のために、よい音、幅のある表現、感動の演奏 作りのために日夜練習に励む子どもたちのことを思えば、あだやおろそかには指揮台に立てないだろう。 管楽器でいえば唇の訓練や呼吸の訓練、指の訓練を部員がしていることを思えば、指揮台に立つ指揮者、 学校では顧問の先生が腕を自由にコントロールする訓練をしなくて良いということはないのだ。 腕を振って音を出さないからおろそかにしていいものでもない。
 熱意があったとしてもそれを具体に指揮棒、指揮腕で示せなければ絵に描いたモチだ。 部員の向上しようとするモチベーションと指導者の熱意、それと指揮者としての技術を持つこと、つまり これらを合わせた総合力が感動の演奏へとつながる。
 今日、書いたことは学校の音楽団体を育てる根幹になるアドヴァイスだ。

6.呼吸

指揮者がする呼吸は、酸素を吸い込むという生命維持の呼吸の他に、演奏のタイミングを合わせたり、気持ちを集中させたりする為にも重要だとは多くの人が知っているだろう。そして、それを知っている人は、演奏者にも明確につたえるように、大きめの音を出しながら、ブレスをして腕を振り始める。ここまでは、基本的に正しい。さあ、これからワンポイントアドバイスだ。
曲の雰囲気に合わせたブレスを指揮者はすることが必須だ。つまり、ユックリした曲の始まりなら、そのテンポで息を吸う。p ならやはりピアノで吸い、f ならフォルテで息を吸う音を出す。ブレスはするのだが意外に、ワンパターンで息を吸う音を出していることがあるかも知れない。表現もワンパターンになりやすいよ!
たかが腕を振る指揮者の行為だが、やってみると奥が深く、奥を知ると面白くなる。脱力と筋肉の弛緩のコントロールが出来るだけでも、体から余計な力を抜ける喜びが湧いてくる。
あ、さっきのブレスだが、当然、指揮者も腹式呼吸だ。胸式呼吸になっていないか、これも要チェックだ。

 

7.スタンス

前の姿と後ろの姿、これは両方ともに大切だ。前の姿は演奏者の為に、後ろの姿は聴衆の為にだ。当然、指揮法の話だから、指揮をしている時だ。
腕をコントロールすることが実は音楽もコントロールでき、音楽性を発揮できることに気が付くべきだ。
未だに、斎藤メソッドが単なる筋肉のコントロールだと錯覚している人も多い。
自分の溢れる思いを棒で表せたらどんなにうれしいか。これを想像してほしい。
合理的な指揮をすると、後ろ姿も美しくしくなるのだ。
視覚、聴覚、皮膚感覚、そして総合的感覚を駆使しての音楽鑑賞ならば、一つの演奏会にそのすべての姿を過不足なく、見せること。VTRで確認することを進めたい。

8.叩き、しゃくい、平均運動

この三つを無意識に使って指揮をしていることがおおい。アンサンブルを整えるために「点」を明確にわかりやすく見せるというのは指揮者の役目の重要なところだ。「叩き」では指揮の図形の「点」を鋭角にしめすこと、アルファベットのVやWのように鋭角に。「しゃくい」はアルファベットでいうとUの形だ。下の曲線の部分が「点」になるのだが、曲線のどの部分が「点」に見えるかというと、それは加速と減速のちょうど真ん中、曲線の一番下が「点」に見える筈だ。平均運動は、加速、減速が伴わないのだから、腕の速度の変化によっての点は示せない。それもあり、アンダンテやアレグレット程度のテンポのゆっくりした曲に向いている。現実には、多くの人が「点」を示さないとアンサンブルが整わないという、無意識の意識があるようで、ゆっくりの曲でも、手首や指先を動かして、小さく「点」を示していて、これが曲想に合わないことが多い。ゆっくりした曲では、やや大きな図形の「平均運動」で十分振れるのだから、アンダンテの曲、アダージョの曲では我慢して点は示そうとせずに、加速、減速のない「平均運動」で振りとおすことに挑戦してみることを勧める。「平均運動」で振ることができると、表現の幅が大きく広がるし、指揮をするのがだいぶ楽になるだろう。

9.先入

「指揮が変わると演奏が変わる?指揮者が変わると演奏が変わる?」コロンブスの卵みたいなものだ。しばらく書かなかったワンポイントアドバイス・・・
※ゆっくりの曲で、四分音符にテヌートが続いてついている一小節があるとする。このときの指揮の技法は、「やわらかな先入」だ。ラヴェルの「マ・メールロア」の終曲に一小節だけ同じ部分がある。この部分は、「やわらかな先入」と指導をしたら、受講者の学校のバンド指導者が納得しておられた。
で、ワンポイントアドバイスに追加した。「先入」にも曲に応じたやり方があるので、それは実際のレッスンでないと、うまく伝えられないのがもどかしい。
※心構え・・・少なくとも、バンドやオケや合唱をする児童生徒たちに、ストレスを与えないような指揮をしよう。シンプルにわかりやすく無駄がなく・・・書くのは容易いが実行は難しい。でも、メンバーの反応を観察できればわかることだ。これが、感じ取れないとなると指導者、指揮者としての適性に疑問符がつくかも知れない。自学自習・・・できやすいことと難しいこととがある。指揮法は自学自習ができにくい。書物を読んでも、映像を見ても、だ。私の弟子にあるバンドの指導者がいる。熱心な人だ。そこで、最初に書いた「指揮が変わると演奏が変わる?」かが、証明されるかも。このページをご覧の方々、私の弟子たちの活躍がそろそろ実を結ぶ時がきた。と思って期待をしてください。

10.曲の解釈

今回のアドヴァイスは、腕の振り方のことではなく、曲の解釈のワンポイントだ。指揮者は腕を振ることには違いないが、その前にしなければならないことがある。そうだ。曲の解釈が必要だ。
陥りやすい、速度記号や、表情の標語の解釈についての私見を書く。これは作曲家によって、楽譜の指示の分量や細かさが違う。概ね、この量によって作曲者の演奏家への意識がわかるのだが、それは置いておくことにする。
指揮者としてその記号をどの順番で理解していくか。そのことのワンポイントアドヴァイスだ。Andante cantabile con moto という指示が書いてあったとする。この時は、まず「アンダンテ」を第一に考える。次に「歌うように」、そして次に「動きをつけて」というように順番をつけるのがコツだ。この場合、これらの指示を一緒にすると、指揮者の解釈として結果はあいまいな指示しかできなくなることが多い。解釈に優先順位・・・これが大切だ。解釈に曖昧さをなくし、振るという動作でも曖昧さをなくす、これが演奏者に安心感を与えるし、納得感を持ってもらうことができる。
強弱記号のピアノやフォルテも、物理的に解釈できる個所と心理的に解釈した方がよいところとがある。この項はまた次の機会に書くことにする。